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A新聞店から電話。購読をやめて5年経ったので、またお願いとのことでした。その当時は遠隔介護などで留守がちにして連絡したり、たまったりするのが面倒になったのでした。結局そのままでいたわけですが、この5年でネットでニュースを読むスタイルに変わってしまったんですよね。そうお話しすると、新聞店さんも、お宅だけでないんですと言っておられました。残念ながら時代は戻れない。 もちろんネット情報には限りがあるし、もっと知りたいということも多いのだけれど、反面、新聞やその他メディアの報道過多も気になっています。人は自分から離れた情報をどれだけ知るべきなのか、という疑問です。遠くの犯罪やら事故やらを殊更に毎日知る必要があるのか、ときどきわからなくなるのです。最近こわいね、って言っても、自分から離れていることは、その距離に応じて、知ってこわがるのが、人間本来のあり方かもしれないと思うのでした。知らなくていいことは、知らずにいるという選択肢もあっていいんじゃないかしら。情報社会では、そういう心の平穏も許されるのではないかと考えます。間違っているかも知れませんが。
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↑高校生のみなさん、ぜひどうぞ。
A新聞店から電話。購読をやめて5年経ったので、またお願いとのことでした。その当時は遠隔介護などで留守がちにして連絡したり、たまったりするのが面倒になったのでした。結局そのままでいたわけですが、この5年でネットでニュースを読むスタイルに変わってしまったんですよね。そうお話しすると、新聞店さんも、お宅だけでないんですと言っておられました。残念ながら時代は戻れない。
もちろんネット情報には限りがあるし、もっと知りたいということも多いのだけれど、反面、新聞やその他メディアの報道過多も気になっています。人は自分から離れた情報をどれだけ知るべきなのか、という疑問です。遠くの犯罪やら事故やらを殊更に毎日知る必要があるのか、ときどきわからなくなるのです。最近こわいね、って言っても、自分から離れていることは、その距離に応じて、知ってこわがるのが、人間本来のあり方かもしれないと思うのでした。知らなくていいことは、知らずにいるという選択肢もあっていいんじゃないかしら。情報社会では、そういう心の平穏も許されるのではないかと考えます。間違っているかも知れませんが。