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あれは1996年のウィンブルドンだったかと思います。僕は初めて海外に応募して、ボツだったけど学会に参加し、ドイツのホテルでテレビを見ていました。イギリスBBCの中継で、グラフと対戦する伊達公子選手は、大勢の外国人観客に囲まれて、ぽつんと、たった一人で戦っていました。日本語の解説も応援もない、静かな英語だけの放送は、そのぽつんと外国で戦うことの何たるかを浮き立たせていました。「ゲーム・ダーテ」という審判の声と拍手。ドイツのホテルでひとり画面を見ながら僕は涙してしまいました。 そんなふうになりたい、とその時思った伊達さんが復帰すると聞き、その時の情景と自分の気持ちを思い出しました。
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↑高校生のみなさん、ぜひどうぞ。
あれは1996年のウィンブルドンだったかと思います。僕は初めて海外に応募して、ボツだったけど学会に参加し、ドイツのホテルでテレビを見ていました。イギリスBBCの中継で、グラフと対戦する伊達公子選手は、大勢の外国人観客に囲まれて、ぽつんと、たった一人で戦っていました。日本語の解説も応援もない、静かな英語だけの放送は、そのぽつんと外国で戦うことの何たるかを浮き立たせていました。「ゲーム・ダーテ」という審判の声と拍手。ドイツのホテルでひとり画面を見ながら僕は涙してしまいました。
そんなふうになりたい、とその時思った伊達さんが復帰すると聞き、その時の情景と自分の気持ちを思い出しました。