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ネットで調べていたら、Tokizaki's generalization(時崎の一般化)という言葉が、アメリカの博士論文などに書かれていることに気づきました。これは 1999年の論文で「統語的な句の主要部を左に持つ言語は、音韻句の境界を右に持ち、統語的な句の主要部を右に持つ言語は、音韻句の境界を左に持つ」ということを述べたものです。この、法則のようなことが世界の言語に例外なく当てはまるという僕の仮説なのですが、これを名付けてくれたんですね。言語学だと「Holmberg の一般化」とか有名な人のものがあるので、自分の名前に赤面してしまいましたが、うれしいことです。やってきたことは、全くの無駄ではなかったんだな。
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↑高校生のみなさん、ぜひどうぞ。
ネットで調べていたら、Tokizaki's generalization(時崎の一般化)という言葉が、アメリカの博士論文などに書かれていることに気づきました。これは 1999年の論文で「統語的な句の主要部を左に持つ言語は、音韻句の境界を右に持ち、統語的な句の主要部を右に持つ言語は、音韻句の境界を左に持つ」ということを述べたものです。この、法則のようなことが世界の言語に例外なく当てはまるという僕の仮説なのですが、これを名付けてくれたんですね。言語学だと「Holmberg の一般化」とか有名な人のものがあるので、自分の名前に赤面してしまいましたが、うれしいことです。やってきたことは、全くの無駄ではなかったんだな。